サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア―序章―」感想

 正直に言ってしまえば、この感想を書くべきかどうか悩んでいる。その理由は簡単に言ってしまうと、この感想を書こうと思い至ったのは読んだ直後のことであり、書き出しの文、ある程度の構想、そして何よりも熱意があった。モチベーションもだ(ここで一つ付け加えておくと僕はモチベーションという言葉があまり好きではないのだがその理由を感情論以外に示すことができそうもないからやめておこう)。それらを欠いてしまった今、あなた――これを読んでいるあなた―は、彼はなぜこの文章を書き始めたのかという疑問を抱く事だろうが、しかしそれに対しては言い訳しか出てこない。ブラウザの調子が悪いだとか、テストがあるだとか。瑣末なことでしかないので、ここは筆者の怠慢、としておくのが一番いいだろう。
 ここでは別にシーモア序章に対抗して読みにくい文章にする必要は無いのでは、とゆう人もいるだろう(あえて「ゆう」としたのは誤字でも何でもなく、ただの表現、いわれの無い批判に拗ねているように見せているのだと解釈してもらうのが私は一番いいと思う)、しかし本当にその必要はないのだろうか? 少なくとも、筆者がこれを書く上でやる気を保つためには役に立っているし、また、これを見るのが既読者ばかりではないのだから、作品(といっても真似ているのは後半のシーモア序章だけだし、他の作品はむしろ読みやすい方だと思うが)を読んだことのない人に、少しでも雰囲気を味わってもらうというのも感想の役割の一つなのではという考えもあるため、このようになっている。
 既にお気づきの読者もおられるだろう、そう、実を言うとここまで書いて自分が嫌になってきている。この感想は全くサリンジャーの作品に触れていないだけにとどまらず、むしろ貶めてしまっている。自分のエゴ(または一時的な衝動。常日頃これで動いているようなものだからこちらの方が適切かもしれない)によってこの妙な文体を使い、更に作品を知らない方にも悪い印象しか与えていないことだろう。だめだ、やめよう。言い訳もやめよう。言いたいことは言ってしまえばいいのだ、小説ではないのだから。
 僕は、サリンジャーの作品に対して、全てに憧れを持っている。登場人物、舞台、ストーリー、文体、そして作者自身。それはこの「大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア―序章―」も例外ではない、というのは分かってもらいたい。そして憧れのあまり、真似をしたくなってしまっただけなのだ(まるで仮面ライダーに憧れて不恰好なライダーキックをする少年であるかのように)。
 どうかお許し頂きたい、作品が好きだからこそやってしまったことなのだから、というのは厚かましいだろうか。

追記
 作者のサリンジャーが昨年亡くなったとき、正直なところ空虚な思いに囚われた以外、何も感じなかった。しかし、その後作品を読みなおしていくに連れて、自分は本当にサリンジャーの作品が好きなのだと思うようになったのだということは、どうか、書き残しておきたい。

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

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